四季と関り遭いながら生活する事・・・・・・

投稿者:ルイス 投稿日:2018年10月19日 カテゴリー:未分類

先日、私の住んでいる地区の秋祭りが終わりました。

近年、こういった行事に参加される方が減っており、寂しいばかりです。

 

宵宮(提灯行列) = けがれの無い子供たちが、村町の道を廻り清め、後日  神輿(神様)が寄られる事をお知らせします。

宵宮(宮上げ) = 神輿を神社へお届けし、社殿内に据え置き、御玉(神様)を納めて頂く準備。

神幸祭 = 御神輿(神様)を担ぎ、村町の生活をご覧頂き、人々は神輿(神様)に感謝し、米・酒等の奉納を行い、お祓いを受ける。

担ぎ手 = 氏子とも呼ばれ、その昔は名誉な事として我先に御支えしたはずです。

 

たまたま、幼少期~ずっと地元で、遊び場所も神社であった為、気が付けば年間祭事に多く関わっております。

そう言えば、年甲斐も無く 石段ダッシュ をした折に、小学生が境内で「きょろきょろ」・・・・・・・『ぼく、どうした。』 「ハイ、夏休みの宿題に困って、神社に来たら何か有るかなと?」 『君の名前は?』 「〇✕ ◇◇です。」 『これ見て、ここに刻んである苗字、君と同じだよ、ほらココにも(たまたま地元旧家の名)境内の周りに何本ある?修理に寄付した人の名前だよ、君のご先祖様の名前があるんじゃないかな?』 「えっ、すげー。これ全部ですか」・・・・・・彼には単なる石柱に観えていた様子。

こうして、皆が気持ちを込めて建築した建物は、朽ちる前にメンテナンスされ、ずーっと残って来ました。

これって、人間の『飽き(無関心)』が 来た時がこの建造物の寿命なんでしょうね。

さて、新しい元号を迎えますが【金◇万円也 昭和〇年吉日 〇✕△◇】の石柱は、未来の君に『えっ、すげー。これ全部ですか』を言わせる事が出来るのかな?。

~無理して担いだから、ついに腰に来ました。(・・・・・・反省)