平成 ~ 令和へ。

投稿者:ルイス 投稿日:2019年4月26日 カテゴリー:その他

平成 ~ 令和 へ、新元号まで、いよいよですね。

先日、松山城堀之内 を通り抜けて、帰宅しました。堀之内・・・・・・久しぶりです。こんなに近いのになあ。

昭和の、私が幼かった頃、堀之内に競輪場があり、よく親父に連れてこられていました。当時、子供の低い目線で視界に入ってきたのは、車券や食べ物のゴミが散乱し、汚い印象が強く楽しくなかったです。近道に通り抜けても、古~い病院 があって、夕方暗くなるとゾゾッとする感じに、足早に堀の外へ出ていた覚えがあります。

そう言えば、もっと前には、ここで出陣式があったそうな。
私の祖父の話で、徴兵されここに集合、式を行い高知県へ向かい、南方戦線へ出航したと聞きました。
生きて帰還しましたが、あまり多くを話さなかったです。よほど辛かったのでしょう。
弟さん2名は、ここから出発、満州国内に諜報員として、モンゴル人に紛れていたそうです。連絡の取れない中、一方的に届いた、現地の民族衣装で写っている写真を思い出します。結局消息不明で、お墓を2基設けてあります。「賢いやつだったから、きっと現地人に成りきって生きているんだ」の言葉を思いだします。

こんな事を思い出したのは、今は城山公園として整備され、夜景の中「花見会」をしている大勢の方々の中、「平和だなっ」と思ったからです。

お城から見下ろされるこの場所、今は何も無く、ただ芝生を敷いているだけ。

その時代の折々に、ここを利用する者の思想・発想で、自在に変化する「究極の公共建築物」だと思います。
昔は出陣式。高度経済成長期には、景気誘発・ガス抜きの場に。今は花見・イベント会場に。

さて、「令和」どんな時代が来るのでしょうか。

そういえば、私の名前、祖父が選んだそうです。
「話せば分かる」→「問答無用」として軍青年士官の凶弾に倒れた「犬養 毅」と同じ名前です。
なるほど、陸軍にいた祖父が、どういった願いを込めて選んだのか。少し判った様な。
歩いてみると、いろいろ考えて、たまには良いですね。
どうぞ、平和な時代であります様に。(平成 → 令和、前後をくっ付けると『平和』になってる。)