本来の”打合せ”とは

投稿者:じゅんちゃん 投稿日:2018年9月3日 カテゴリー:その他

毎度ありがとうございます。営業の沖でございます。

今日はちょっと変わった話をさせて下さい。

表題のとおり、「打合せ」についてです。

打合せ・会議・話し合いといったものは、神経と時間を費やしますが、

必要不可欠かつ重要なものです。弊社では、お客様とのお打合せは、

1回につき3~4時間は当たり前、10時間も続くときがあります。

これって時間の無駄遣いだとお思いでしょうか?

一昔前の日本では、村単位で大事なことを決めるとき、「寄りあい」

というものが開かれていました。今で言う、会議や打合せですね。

この寄りあい、区長と総代が中心となり、地域の数十人で話し合うのですが、

皆が納得のいくまで、何日でも話し合ったそうです。しかも驚いたことには、

昼も夜もなく、ぶっ続けで行われるのです。用事があったり、お腹が空いたり、

眠たくなって言うことが無くなれば、家へ帰っても良し、その場で寝ても良し、

とにかく結論が出るまで無理はせず、皆が納得いくまで話し合うのです。

だから結論が出ると、それはきちんと守らなければなりませんでした。

話といっても、理屈を言うのではなく、一つの事柄について、

自分が知っている限りの関係のある事例をあげていくのです。

話に花が咲くとはこういう事をいうのでしょう。反対や賛成の意見が出れば、

それはそれでしばらくそのままにしておき、別の議題を取り上げたり、

村の伝承やしきたりを織り交ぜながら、一見無駄と思われる話が続いたりも

します。ですが却ってそれが冷却の時間となり、皆が考えあい、最後に

最高責任者に決をとらせたそうです。こういった方法で、大抵の難しい問題も、

三日で片がついたといいます。それが本来の話し合いの姿なのです。

私はこの話を本で読んだ時(宮本常一「忘れられた日本人」)、何となく

目から鱗が落ちる思いがしました。長い会議や打合せは必然であって、

決して無駄ではない。理論ずくめで収拾がつくとは思ってはいけない、

結論を急がない、ただ、結論が出るまで続ける・・。

時間を切って打ち合わせや会議をすること自体、本来はナンセンスということ

なのでしょう。何度も何度も長い打ち合わせを重ねてやっと、はじめて良い物が

生まれるということではないでしょうか?<了>